私の関心ごと

2011.04.21

「屋外」にしかない恵み

「汚染」かー。この言葉で言い表すことしかできないのかなあ。
と、ずっと違和感をもっていたのでさっき辞書で調べてみたら、「細菌・ガス・放射能などの毒がついたり しみこんだりして、空気・水・食物などがよごれること。また、そのような状態にすること」とあった。
へぇ。「環境汚染」の言葉になじみ過ぎていて、目に見える汚れのことをイメージしていたけど、言葉の使われ方としてはまさにそのまま、だったのか。

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私が育った町は、広島市内からちょうど30キロ離れた山あいの町だ。そこに住んでいたころは30キロなんて、かなり離れた場所だと思っていた。
祖母から、「家の畑からきのこ雲が見えたんよ」と聞いても、「こんなところまで本当に見えたんかなあ」と半信半疑だったくらい。
でも、今回の原発事故で、30キロ範囲というのが、「中心部」からこんなに簡単に地図上では線引きできるのだと、わかった。そこに住んでいる人間にとって、30キロがどれだけ遠いと感じていても、だ。

広島に原爆が投下されたときは、放射能の危険性なんて誰も知らず、退避も進入制限もなかった。放射性物質が人体に与える影響や、環境に残存する期間も、かなり後になるまで知らされなかった。

私が生まれたのは、戦後(原爆投下後)32年。つまり、半減期が30年の放射性セシウムの残存量が半分になった頃。兵器として用いる原子核と、エネルギーとして用いる原子核は、原子の成分が違うから一概には言えないけれど、私が生まれた時代に、残存している放射性物質におびえていたとは考えられなくて。
上水道のないような地域で、それぞれの家で地下水を汲み上げている。手作業(井戸)が電動(モーター)に変わっただけだ。それでも、私が生まれたときから、何の疑問もなく飲まれている。
今回の原発事故で、日本各地の放射線量が毎日観測されるようになって、「今の広島はどうなんだろう?」と思い見てみたら、他の西日本地域と同様の、低い値だった。原爆投下後60年以上たっているし、ほとんど影響は残っていないのかもしれない。よかった、とほっとした。

広島の街は今、66年前に原爆が落とされたことを、当時のものが資料として「残された」平和公園なんかに足を運ばなければわからないほど、復興している。
投下されたときは、「70年は草の1本も生えない」と言われていたらしいが。

福島も、どうか一日でも早く人々の日々の暮らしが戻りますように。
広島は人も緑も元気になってる。福島も、きっと大丈夫。今の子どもたちと、その親の私たち世代が、未来そのもの。希望は、生まれ続ける。

太陽のあたたかさと、その光を受けた土地からの恵み、お日様がそそいだものの匂いの心地よさは、人間だけじゃなくすべての生き物にとって共通に必要。
布団や洗濯物をとりこんだときの、あのぬくもりと匂い。私にはあの瞬間がとても大切で、なくなるなんて考えられない。震災後数日間はここでも外での放射能を心配したけれど、それでも今は以前と同じ日常を取り戻せている。


原発を安全に使っていくことができないとは思わない。だけど、この日本では適さない。そう思う。

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2011.03.26

地震、その後

水と牛乳が飲めなくなると、人間が住む場所じゃないなあって思うなあ・・・。

地震関連のことは、自分の気持ちを書いたとしても他の人に読んでほしいと思えなくて、あまり書く気になれなかったんだけど・・・。でも、記録としては残したい。
そんなわけで、地震後、考えていること。

地震と津波による被害については、もう私だけの胸に。記録しなくても、たぶん記憶から抜けることはないと。

記録しておきたいのは、原子力発電所の事故について。地震後、発電所の最初の爆発が起きたときから、「怖い、怖い・・・」という不安が大きくなるばかり。
国や電力会社がいうことなんて信用できんと思って、放射能もれの件については常に警戒していたんだけど、でも今は自分さえ安全であればいいなんて考えられないし。それでも、「このくらいの値ならまったく問題ない」という言葉で、安心することなんてとうていできず。
だとすると、できることといったら、水も、野菜も、今はあるものを受け入れて、東北がある程度回復してから自分の生活に入ってくるものを取捨選択するしかない。だけど、「子どもだけは」という思いはあって。

今、どこの専門家も「問題ない」と言っているけれど、問題ないわけはないでしょう。レントゲンの放射線量と比較している場合じゃないでしょう。今回、エックス線がどれほどの被爆量があるか、学べたのはよかったけど。
これから、何十年生きていくと思っているの。毎日、水を飲んで食事を作って洗濯を干して、仕事に行き学校に行き保育園に行き、その繰り返しが生きている間中続いていくのに。
津波で失われた命を思えば、放射能が原因で「健康を害する」ことをこんなに不安視することは大げさなのかもしれない。

私が広島で、高校まで原爆のことを細かに教わって育ったからか。
放射能って、時間がたてば薄まって、なくなると、思っている人が多いんじゃないのかなあ。
確かに、「被爆者」のうちのおばあちゃん(投下された翌々日に親族を探しに行って被爆)は、80歳過ぎてもまだ元気だ。広島市内の水道水だって、私が生まれたときから普通に飲まれている。
こんなこといちいち怖がっていたら、日常生活送れない。確かにそう。放射性物質にだけ気をつけてたらいいわけでもない。タバコを吸う人に、「可能性」でしか言えない怖さは伝わらないだろう。
だいたい、日本で今大騒ぎされているけれど、中国やロシアなんかでちょっと原子炉が故障して、今回みたいな「ガス抜き」が行われていても、事実が隠されていたら何も知らないままだ。

今の、これからの、何が怖いのか(悪影響があるのか)を、言葉にしなければ。
「問題ない」で国民をパニックにさせないように配慮しているのはわかるけれど、きっとそれももう限界なんじゃないか。
水道水の摂取制限が報道されたとたんに、乳幼児を持つ家庭以外の人でも水を買いに走る、規制がされていない野菜まで汚染を恐れて買い控える。みんな、不安で不安で、しょうがないのだ。誰も、「問題ない」に安心していない。

私が住んでいる関東地方にも放射能の値が高まって、何百キロと離れたここでさえ、これからのことを不安に思う。それは当然。でも、それ以上に、原発周辺の、「人が住めなくなった」、「食べ物を作れなくなった」あの土地を、いったいどうしていくつもりなんだろう。

大学のとき、チェルノブイリの原発事故関連の本を読み、「原発周辺数10キロ四方の、汚染された表土をブルドーザーでこそげとった」事実に、驚愕した記憶がよみがえった。
おそらく、福島も、そうなるんじゃないか。
何代も続けてきた田を、畑を。牛や鶏がいる舎を。家があった土地を。
表土をこそげとっても、戻ることはできなくて。

2週間たった今も、福島原発は不安な状況。
昨日今日と、水源地の放射線値が下がっても、まだ安心できる状況ではない。長期的に注意しておかないと。
放射性ヨウ素の半減期は数週間。放射性セシウムの半減期は30年。たったの、半減。

とりあえず私は今、水については、発表されている数値を信じて、ペットボトルを買うことは控えようと(おとといはつい買いに走ったが)。でも、今後数値が悪化したら、西側にいる家族に送ってもらおうと思っている。子どもの分だけは、できるだけ不安を消したい気持ちしかない。洗濯も、地震以降ほぼ部屋干し。外出は気にせずしているので、たぶんあまり意味はないけどねえ。

被爆した私の祖母は、まだ健在だけど、50代でガンを患った。因果関係なんてわからない。ガンを治せて、長生きできている幸せなおばあちゃんなのも事実。
被爆3世の私も、長生きするつもりでいる。そのために、原発に頼らないですむ方法を考えたいなあと思う。


こんな不安ばかりをあおるような書き方しか、今はできなくて。下書きのままにしておけばよかったかなと、迷い中。読んで嫌な気持ちをされた方、ごめんなさい。

夕飯の支度をしていたら、今日終業式だったあずが、持ち帰ったお道具箱の中の歌集を開いて、「お母さんどれ歌ってほしい?」と言うので、目次の中から適当に、目にとまった「にんげんっていいな」をリクエストした。忙しかったので、ほんと、考えなしに。
一生懸命大きな声で歌い始めたあずを横目に、魚を焼いていたら、あずが「くまのこみていたかくれんぼ~♪」と歌った瞬間、終わりまでの歌詞が一瞬で頭の中に浮かび、「しまった!」と後悔。
今、この歌を聞くとだめだー。
案の定、涙がぼろぼろ。はー。
「ふるさと」も、今はだめ。

はやく、すべての人があたたかいおうちに帰れますように。
すべてのふるさとに、清き水が戻りますように。

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2010.10.22

人を育てる

人からしてもらうことばかりで、私はどうやってそれに応えることができるんだろうと思うこの頃。

大学を卒業して10年以上経つというのに、いまだにゼミの先生とやりとりがある。
本や、私が勉強していた内容に関係のある食料品などが、何の前触れもなく送られてくる。
自分の研究や学会などの用事で忙しいはずなのに、ゼミ旅行や学生の報告書にも気を配ってくれて。でも「親切」ではない。いつも自分の頭で考えるようにしむけられたし、楽して答えを見つけようとしたり自分のことだけ考えようとしたりしたら、冷ややかにたしなめられた。

卒業して、これといった仕事をしているわけでもなく、結婚して子育てしかしていない私を、あきらめずに待ってくれているのが、手紙も何もない小包から静かに伝わる。受け取るたび、「まだ、あきらめられてないんだ」とホッとしもするし、「がんばらないと」と焦りもする。「アセラズ、イソイデ」。先生の言葉が耳に響く。

私に、なにができるんだろう。
世の中と、どうやって関わっていけるのかなあ。

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2009.09.01

まだ信じがたい

選挙終わって、テレビでなんやかんやと報道されるニュースを見聞きしても、まだ実感わかないなあ。
いやあ、社民党が与党(の一部)になるかもしれないなんて。

毎度毎度選挙のたび、死票である事をなんの疑いもなく(当選の希望もなく)投票してきたけれど、今回初めて自分の1票が活かされたことになるんだねえ。すごいねえ、選挙って。
私は特別、「社民党が一番!」だとは思っていないし、公約のすべてが実現性のあるものだとも思っていないけれど、票集めのための目先のにんじん政策掲げてる党や、国際平和について日本が主体的でいられないような立場をとる党を省いたら、ここしかなくなってしまう。

選挙といえば、選挙前には必ず「お願いね!」と、ある党の支持を頼んでくる人たちがいるけど、有権者になって今年で11年経つが、いまだにこの人たちの心情が理解できないでいる。
自分の宗教理念と、この自民・公明の政策が、どう合致するんだろう。・・・と、こんなこと聞いたら何時間も「お話」聞くことになるだろうから口にはしないけど。
創価学会の「世界平和」の理念が、どうして自民党の政策で実現できると考えるのか。国民になにも問わず伝えずごまかし、水面下で大事なことを取り決めアメリカに追従してきたのに。
「お願いね!」のそのメリットを、「○○さん(←公明党候補者)ならこの辺の環境整備に力入れてくれるから!」と、身近な「いいこと」実現をちらつかせて説得してくるのだが。そんな手近なところでいいんですか。それがあなた方の望んでいることなんですか、と逆に問いたくなってしまう。

私は、今からの若い人たちに期待しているよ。党の長名乗って傲慢ちきに立候補してくる80にもなろうじいさんなんかよりも、政党関係なく若い一人ひとりの心意気に、期待して応援したい。

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2009.07.03

母親

今日皮膚科の待合室で、ヨウよりちょっと大きい男の子を連れたお母さんが私の隣に座った。
男の子は2歳半くらいかなあ。お母さんは、たぶん私とそう変わらないくらいで、派手でもだらしなくもなく、見た目普通の感じ。

しばらく待っていたらその男の子が退屈してぐずぐずいい始めたんだけど、お母さんの対応がね。ええ?と目(耳)を離せなくなるくらい冷たくて、たぶん待合室にいたみんながその親子に意識を集中させていた。

男の子は泣きわめくとかそんなんじゃなくて、お母さんにすがりついて、ずっと「ごめんなさい、ごめんなさい」と消え入りそうな声で泣いていて。
でもお母さんは男の子の手を「痛いから離して!あんたは朝からお母さんの言うこと聞かへんかった。許してほしかったらこの待ってる時間じっとおとなしく座っといて。ほらそうやって泣いとったら許すまでの時間伸びるだけやで。」
男の子が待合室の絵本を持ってきて、「お母さん、読んで。」
お母さん、「そんなん絵だけ見とったらわかるやろ。」
男の子はべそかきながら、「だって字読めへんもんーー」
お母さん、「とにかくおとなしく座っとけばいいの!」
終始目をつり上げて、トゲトゲしい態度で。

私はそのお母さんがなんでそんなに怒っているのかわからないし、子どものこととは別にとてもイライラする事があったのかもしれない。体調が悪かったのかもしれない。
他人の子育てに口出しする筋合いはないんだろうし、相手にとっては口出しされるなんてまっぴらごめんだろう。

こういうとき、冷静に「他人があーたこーだ言うべきじゃない。その親子の問題」と一歩引いてみとけばいいとはわかってはいるんだけど。
だけどっ!私はそういうことができないんだよー!感情的で自分勝手に判断しちゃうのよいつもいつも!
(だからこの日記を読んで「あんたうざい」と思われた方、なにも言わずにこのウインドウ閉じて下さい。)

もうねえ。隣でわなわなしながら聞いてたのよ。
たかだか生まれて2,3年しかたたない小さな子どもに、そんな許す許さんて、あんた子どもに何を求めとんじゃ?
絵本くらい読んだれよ!
「おばちゃん読んだろか?」と思わず口をついて出そうになった。

子どもに腹立つ気持ちもわかるし、まとわりつかれてうんざりする気持ちもわかる。うっとうしくて、子どもから離れて1人になりたい気持ちも。それでもちゃんと子どもを病院に連れてきてるんだから、きっとこのお母さんは基本は大丈夫な人なんだと思う。

お母さん業は24時間365日ずっと休みなしで、誰からの協力もなかったら疲れと腹立たしさの矛先を子どもに向けたくなる。私だってそうやって怒りぶちまけて自己嫌悪に陥って、の繰り返しだった。今だってそうだ。
だからあのお母さんに文句言える立場じゃないんだけどさ。でもね、「公共の場」でそういうイライラにブレーキがかからなくなったら、おしまいだ、と思うのだ。

人の目があると、子どもが騒いだり泣いたりすることに焦ってしまう。
なんで焦るかっていうと、家の外ではできるだけ「いい母親」でいたいと思うからだ。周囲に迷惑をかけずに、子どもにどうやって接すればいいか、自信がないし実際うまくいくようなもんではないとわかっているからだ。
「いい母親」である以前に、「いい大人」でありたいと思うから焦るんだよね、きっと。
人の目がないと「大人」になれないのか?私はたぶん、なれないなあ。ひとりで家にこもって子どもみてたら、虐待まがいのことしちゃうと思う。

話があっちこっちしまくりだけど、ええと、つまり、「外」で子どもに対して感情むき出しで接しちゃうというのは、あまり良い状態とは言えないんじゃないかと。育児はまず「外ヅラよく」が基本だと思うのよね。いや、どこを切っても「素敵なお母さん」な人はたくさんいると思うけど、そんな人ばかりでもないと思う。

結局、隣でわなわなしつつも、何も声はかけられなかったんだけど(←当然)、まあこっちが「あんたそらおかしいやろ」と口出したところで、逆にあのお母さん追い詰めることになるだけやろうしねえ。
同年代で同じような立場にいる私なんかが言うより、年配のおばちゃんがさらりと言ってくれたらありがたいのになあ。大阪ではよく見る光景だけど、今日はそういうおばちゃんがいなかったのか、それともそんなに目くじら立てるほどのことではなかったのか。私が一方的すぎるのかなー。わからんようになってきたなー。

でもうちのおばあちゃん(ダンナのおばあちゃん)があの場にいたら間違いなく、「あんたそらおかしいで!」とぴしゃりと言ったと思うなあ。

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2009.05.21

つながりは、つながる

人との関係において、自分の感覚に自信がなくなるときも、「ああ今のままでも大丈夫だ」と思えるときも、相手あってのものなんだよなー。
そう考えると、やっぱりいろんな考え方の人がいて、誰かに引け目を感じたりする必要なんかないんだろうな。それと同じくらい、自分のダメさに傷つく弱さも必要なのだ。

「ああこの人素敵だなあ」と思える人に出会えたときの喜びって、この歳になるとちょっと特別なことに思える。

昨日今日と一緒に遊んだ同じマンションの友だちに、どうしてもちらほら敬語が出る(←私の性格+生粋な関西人でない)私に、「(気を遣わんで)もういいって!マブダチでいこっ!」と言われ、互いに30代半ばで交わす会話として「マブダチ」はどうよとなんだかおかしくって、げらげら笑ってしまった。
こういうとき、確かに歳なんて関係なく、見たまんま、感じたまんま、でいいんだよね。

どうしても無理してつながりを求めようとしちゃうけど、自分の感覚を信じてちょっと勇気を出したら、自然とつながっていくもんだよな、と思ったこの休園週間。インフルエンザ騒動も悪いことばかりじゃなかったかな。

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2009.04.10

子どもが遊ぶ場所

私の実家は田舎なので、子どもの頃遊んだ場所といったら家の周りの、文字通り野山だったわけで。
「公園」なんてものはないところなので、もっぱらそのへんの生き物(植物含む)を相手に時間をつぶしていた。
その当時の私にとってみれば、退屈以外のなにものでもなかっただろうけど、でも今思うととてもとても貴重な時間だったなあと。登りやすいのはどんな木か、あの草でどうやって遊ぶか、川の魚のエサにはなにがいいか、親からおしえてもらったことなんかひとつもなくて、どれもこれも自分で考えたことばかりだった。

そういう「自分で考える遊び」が、ここで暮らしていたら何も見つけられないんじゃないの? それはつまらんなあ、という思いが、先週の帰省から帰ってきて湧いてきたわけだ。
公園行って、いつもと同じブランコ乗って、すべり台すべって。しかも、見ず知らずの子ども(親)に配慮して、やれすべり台は階段から登りなさいとかなんとかお決まりのルールを言いながら。

ああ、ほんとうにつまらん。こんな同じこと毎日何年もやってらんない。

そんなわけで、公園に行くにしても最近は、「遊具」で遊ぶことを目的に公園に行くんじゃなくて、ちょっと広い公園に出かけて、いろんなものを目にできるような場所に遊びに行くようにしている。虫取り網とカゴ持って菜の花畑とか、池の周りまわって水の中覗いてみるとか。そのくらいしかできないけど。
でも、やっぱりペットの犬猫とかだけじゃなくて、身の周りのそのへんにあたりまえにいる「生き物」に興味がわくかわかないかで、外で遊ぶ楽しみがまるで違うと思うんだよな。

今日は春休み平日最終日だったこともあって、動物園に行ってきました。今朝あずがぽつりと「動物園行きたいなー」と言っていて、「それもいいかな」と私が思えたこのタイミングは貴重だ。いつもなら「ええー面倒くさい」で一蹴だもんね。
30分でおにぎり作って準備して、ぱっと家を出る。駅まであずと一緒にベビーカー押して歩く。チンチン電車で20分。全然面倒くさくないじゃん。

ここでは5歳のあずでもまだひとりで外に出すのは怖い。子どもが勝手にひとりで遊びに行けるようになるまでは、気長に付き合ってやるしかない。
「こういう遊びもあるよ」、「こんな場所もあるよ」、そうやって、田舎で育った私だからおしえられることがあれば、それでいいかな、と思う。

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2009.02.17

後悔するということ

もう2月も半ば過ぎてしまった。
毎年思うけど、2月ってほんとに逃げちゃう感じだなあ。仕事が忙しい時期で、怒涛の毎日なせいもあるけど。
そろそろお雛様出さねば。

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父が亡くなって、3週間がたった。
「20日前までは家にいたのか」と考えると、この3週間短かったような気がするし、「いなくなって20日もたつのか」と考えると、長かったようにも思う。
それでもまだやっぱり、この世からいなくなってしまったことが信じられなくなるときが、たまにある。もしかして、「死んだ」のは夢で、次に帰ってもまだ家にいるんじゃないか、とか。

父といっても、亡くなったのは私の義理の父。母の、再婚相手だ。
うちはちょっと複雑で、私が高校1年のときに両親は離婚し、私含め子ども3人は父のもとに残った。母が家を出たわけだ。
で、それからしばらくして母は再婚したのだが、このことは私たち兄弟も同意の上だった。昔から知っていたこともあって、会いに行けば義父も私たち3人を自分の子ども同然に迎えてくれた。
実父がよく言えばあっさり、悪く言えば無関心な性格だったのもあって、義父の温かい性格に救われたことが何度もあった。私たちにはちゃんと父がいるからと、自分のことを「おぃちゃん」と呼ばせた。
県外の大学に進んで私も家を出て、帰省するようになってからも、父のいる実家と母のいる家両方に帰るのがきまりになった。それは、今でも続いている。
あずを産むときだけ、父には申し訳なかったが母のところに里帰りした。出産となるとね、やっぱり母の側が安心だったので。

数年前から悪かったのだけど、ここ1年くらいで急激に悪化してきていた。でも、帰れば必ず笑顔で迎えてくれた。
視力を失い、仕事を辞めてからの義父の心のうちを察するとあまりに辛くて、最近はほとんど向き合って話せなかった。それを、今とてもとても後悔している。
どうして一番辛かっただろう時に、父の心の中の重たさを受け取ろうとしなかったのか。私の、父に対する気持ちを伝えられなかったのか。心配でたまらなかった気持ちを、また一緒にお酒が飲みたいと思っていたことを。

ある人が以前、「本当にちゃんと自分がその人につくしたら、その人が亡くなっても後悔しない」と言っていた。
私は、義父が亡くなったと妹から電話を受けた時からお葬式のときまでずっと、「あのときこうしていれば…」という後悔の念がこんこんと湧き出す泉のように次々に襲ってきて、うなだれるしかなかった。「神様お願い、時間を戻して」と何度も願った。せめて、お正月に電話したとき、もう一言こう言えばよかった。「おぃちゃん、お母さんとずっと一緒におってよ。まだお母さんを一人にせんといてよ。」
誰もが、そして誰よりも義父自身が死を身近に感じていたときくらい、ちゃんと本音を伝えなきゃいけなかった。しらじらしい天気の話なんかで最後になんかするんじゃなかった。

お葬式が終わって、大阪に戻ってきて、あるときからふっと後悔の波が引いて、それからは義父の笑った顔、話したこと、しぐさ、義父との心地よかった思い出がどんどん脳裏に浮かびあがってきた。
母に電話してそう言うと、「それでええんよ」と母は言った。
その後は、一気に寂しさが襲ってきた。きっと「後悔している」間は、自分自分のことを中心に考えていたんだろうな。義父の笑顔を思い出せるようになって、もう会えないことが急激に悲しくなった。

おそらく、側にいる大切な人が亡くなって「後悔しない」ことなんてあり得ないだろう。
義父が亡くなってしばらくは、「私がちゃんと向き合えなかったから、後悔しているんだ」と思っていた。次にこんな後悔をしないように、今からは自分のあり方を考えようと思った。

でも、今はそれもなんだか違うような気がしてきた。
たぶん、側にいればいるほど、大切な人であればあるほど、たくさん後悔するんだと思う。
日常の、ほんのささいな出来事、例えば今日のおかずの内容なんかでも、一緒にいればいるだけ後悔の種が落ちているんだと思う。だからきっと、離れて暮らしていた私なんかよりずっとたくさんの「しょうもない」後悔を、母たちはしているんだと思う。

後悔は減らせるのかもしれない。でも、自分とその人の距離によって、後悔の質も量も変わってくる。
ただ今回のことでひとつ学んだのは、自分のその人に対する思いは伝えておかなきゃならない。
「大丈夫?」だけじゃなくて、「心配なんよ」。
「春休みに行くよ」じゃなくて、「次会えたら一緒にごはん食べたい」。

相手の死を受け入れるためには、たぶん自分自身の過去を受け入れることが必要になる。
自分自身のそれまでの後悔は、「しょうもない」後悔だけにしたい。

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2009.01.14

気が早い

1月ももう半分終わっちゃうなあ。
カレンダー1枚めくると、来月はあずの誕生日。で、毎年思うことだがあずの誕生日が過ぎると、もう春なんだよねー。

もう年長さんか。早いなあ。
一年後は、「もうすぐ小学1年生」なんて。

そういや、「しまじろう」もののDM。やっと「あきらめたか」と思っていたら、先月くらいからまたバンバン来るようになった。「小学生準備」だと。なるほどねえ。
今回のDMなんて、なんとDVD付。あずが見たがるのは当然なわけで。
今までは、「しまじろうからお手紙来た~♪」ですんでいたのに(←勧誘とは理解せず、同封のシールなんかを喜んでいた)、今回のはちゃーんと「2月2日までに申し込んだら○○がもらえるよ!はやくハガキを出してね!」なんて、子ども相手にお誘いトーク満載。
あずはしっかりしまじろうの話を聞いて、「お母さん!早く申し込みしないと!」と自分で申し込みハガキに名前を書いていた。まったくもう。

うざったいことこの上ない。これからはポストはあずがいないときに見に行こう。
だいたい、小学生になるまでにひらがなかたかな数字をちゃんと読めないとだめなんて、おかしいじゃないの。時計なんて、なんで今から目くじら立てて教える必要がある?
私は全部小学校入ってから覚えたよ。今はそうじゃないっての?
入学するまでにできていて当たり前になっていると、入ってから「できない」ことでしぼんでしまったりするんだろうか。そうなるとちょっとかわいそうだなあ。

まあでも、子どもが「おもしろそう!」と目をキラキラさせるようなモノで教えることができるのは、いいよね。子どもからやりたいと思えるようならいいとは思うんだけど。
でもどうしてもああいう「幼児教育」的な匂いを好きになれないんよねえ…。お金かけて、「今しか」使えないようなおもちゃ使って覚えなくてもいいよ。「何歳までに!」とせき立てられて覚えるようなものは、小さな子どもにはないと思うんだけどなあ。短期間で使えなくなったものを容易に捨ててしまうのも想像できるし。
遊び感覚だとしても、もったいなさ過ぎる。の一言に尽きる。我が家にとっては。

こんなふうにしまじろうを鬱陶しがっている一方、なんだかんだと私も気が早い方だと思う。
今は、「小学生になるあず」を想像してわくわくしている。
ランドセルとか机とか、いいよなあ。はやく見たいなあ。なんて。
その第一弾として二段ベッドがあったわけだが、これがうちに来てからというもの、子ども部屋の配置なんかを考えてひとりで妄想の世界にひたっている。友達連れてきたら、おやつのときなんかに私も一緒に会話に混ざりたい。こんな母親、あと数年もしたらきっと嫌われるだろうね…。

ただ、いまはやっぱり想像でしかなくて、子どもが小学生にならないと小学生の親にはなれないんよね。ということを、最近つくづく思う。
小学生の子どもの言動とか悩みとか、自分の子どもが小学生にならなきゃわかんない部分があるだろうと。小学生のかわいさも、憎たらしさも。そのときになってみないと、わからない。想像したり、自分のことを振り返ることはとても大事だけど、それだけじゃ足りないんだろうなあ。

でもでも、今はとにかく待ち遠しい。

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2009.01.01

今年の抱負

毎年恒例、「今年の抱負」。

今年は、

「そのときそのときの瞬間を大切に(自分の子ども含め、とくに人と接するとき)。
なんでもあとから穴埋めできると思わず、小さな積み重ねを未来につなげる。」

これでいきましょう。

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