家族

2011.02.23

家族観

私ってつくづく、「家族する」ことがへたくそだなあ、と思う。
へたくそな理由は、自分のおいたちだけにあるんじゃないような気もする。

最近、あずやヨウに腹が立ってがーーっと怒ったときとか、あまりの愛おしさについべたべたかまいすぎてしまうときとか、自分の感情のゆれ幅に違和感を感じることがる。本気で怒ったり愛したり、というより、「自分の感情をみせつけている」感が大きい。ちょっと気持ち悪い気分になる。私ってこんな人間やったっけ?と。

私の母は、私ほど感情を表に出すことがなかった。何度か爆発させていたシーンを思い出すけど、それってよほどのときであって、日常では子どもにべったりという感じではなかった。どっちかというと、育児放棄に近かったんじゃなかろうか。
祖父母との関係があまり良くなかったので、母は近所の友だちの家(今で言うママ友)の家に入り浸っていて。私は小学生以前の記憶はあまりないんだけど、小学生の頃にはもう、「母は家にいないときが多い」というイメージがあって、「晩ごはんちゃんとあるのかな?」って心配していた記憶があるんよねえ。
当時は母を責める気持ちはあまりなくて、とにかく母にやかましく小言を言う祖母を嫌っていた。ま、今考えたらそりゃ怒って当然よねえ、こんな嫁。
父は父で、日曜日に休みが取れない仕事をしていたのもあって、ほとんど顔を合わせることはなかった。

こんな冷めた家庭で育ったわけだけど、それでも、毎週のように車で遠出してキャンプや海釣りに連れて行ってくれていたのは母だった。この記憶があるおかげで、かろうじて信じていられている気がする。

あずが小学生になって、とても子どもにごはんの心配をさせるようなことはできないと今の私は思う。あのときの母はいったいどういう気持ちだったのかと、信じられない気持ちになる。
どんなに母が当時つらい状況であったとしても、やっぱり私たち兄弟のあの子ども時代は、ものすごく寂しかったんじゃないかなあ、と。甘えたくて触れたくて聞いてほしくて、そんな欲求をどうやって消化していたんだろうなあ。ほんと、不思議なくらい記憶に残ってないんだけど。
今のあずを見ていたら、「小学生になってもまだこんなにお母さんがいいのか」と、発見するような気持ちになる。いまだに「おかあさん抱っこ!」と飛びついてくるあずを、ちょっとうらやましくも思う。これが、普通だったんだなあ。

子どもと四六時中一緒にいたら、おかしくなって当たり前かな。必要以上に怒鳴ったり、怒り狂ったりってのも、ありなのかなあ。許される? ちゃんと修復される? でもやりなおせないこともあるような。
だけど、こうやって子どもとぶつかりながらでも、「あなたが必要」っていうお互いの欲求を確かめ合える時間があれば、うまいこと親子でやっていけるもんなんでしょうか。ここのところが、自分の経験からはわからなくて。

いまだに、自分の母との距離の置きかたがわからなくて、しっくりした親子関係が築けない。
33にして、「私って、どうでもいい存在なのかなあ」とか考えてしまう。怖くて聞けない。普通に話せない。おかしいよなあ。でも、母のことが大好きで。「甘えたい」ような感情がある。

今、NHKでやってる「てっぱん」が楽しみで毎日観てるんだけど、これ観てたら「親子」ってどうやっていくのがいいのかなあ、と考えてしまう。

先月、だんなのおかあさんとまたちょっとモメて、ブルーな日が続いていた。
おかあさんのわけわからん言動に、だんなは肩を落とすし、私はあきれつつもやっぱりショックだった。今後のことを考えたら、もう親子の縁を切りたいと思ってしまうくらい、うんざりしていた。
正直言って、今までだんなに、「あんたのおかあさんなんやから、あんたがなんとか言ってよ!」とキレたことも何度もあった。でもねえ、もう今は、ダンナが本当にかわいそうで。
「あんたが、私に対して恥じたりする必要はないからね。あんたが悪くてこうなってるわけじゃないから」と、私が言ったら、だんながぽつりと、「なんか、今こうやって暮らしているのが悪いことみたいに思えてくる」と言った。

ああわかるよ。私も同じこと思ってたよ。
家族4人で、普通に幸せに暮らしているのが、なんだか申し訳なく思えてくるときがあるよね。子どもと笑っていても、家族でおいしいご飯食べているときも、おかあさんの状態のこと考えたら、いけないことをしているように感じるときがあるよ。
子どもにこんなことを考えさせるなんて、私は絶対絶対したくない。でも、そうなっちゃうときがあるのかもしれない。

「てっぱん」でお母さん役の安田成美が言っていた言葉が、まるで免罪符のように私の心にしみている。

「子どもに恩返ししてもらおうなんて思っとらん」
「幸せになるのに、親に遠慮せんでいい」

強いお母さんになりたいなあ。

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2010.10.20

伯母ちゃん

おととい、伯母が亡くなった。私の実父の兄の奥さん。
今晩が通夜で、明日がお葬式。でも、どちらにも行かないことに。さっきまで迷っていたけど…。

うちは親族の付合いというのが希薄で、特に父方の親戚とはほぼつながっていない。
父は2人兄弟で、弟である父が家に帰り跡継ぎになった。兄である伯父さんは、大学を出て関東で就職し、そこで結婚した。結婚した時期も父とほとんど同じ時期で、子どもが生まれたのもだいたい同じ。伯父の子どもは4人で、つまり私にとっては従兄。上の子2人は同年代なんだけど、下の子2人は10歳以上離れていたので、下の子たちが生まれる前までは毎年一家でお盆には実家に帰省していた。

下の子2人が生まれてからは、伯母は体調を崩すことが多かったみたいで、伯父と一緒に帰ってくることがなくなった。と同じ頃から、うちの両親がごたごたし始め、母が家を出てからはまるっきり伯母とのやりとりがなくなった。伯母と母は仲がよく、伯母がうちに来たらたいてい母と台所で愚痴りあって、でも2人で笑っていた。伯母からの母宛の手紙が残っていたのも覚えている。
うちの祖父母がとても気難しい人たちだったので、正直帰省は嫌だったろうなあと思う。しかも唯一の気を許せる話し相手だった母がいないとなると、そりゃ敬遠する気持ちはわかる。
それからずいぶん経って、私の結婚式の案内を送るときはじめて伯父の家に電話をかけたら、懐かしい伯母の声が。「わあ、いさなちゃん!元気?」と昔と変わらない、おっとりした明るい声だった。

ただ、おじいちゃんの葬儀にもこなかったとき、「ああ伯母ちゃんはもうここには絶対来ないと決めてるんだ」と、悟ったんだよねえ。世間からすると一応「長男の嫁」になるわけだけど、そういう「役割」も何もかもすべて放棄しちゃったんだなあ、と。「もう会うこともないんだろうなあ」と漠然と思ったんだけど、やっぱりおじいちゃんのお葬式に来なかったときは、寂しい気持ちになった。

そんな伯母ががんを患っていたなんて知らなかった。伯父は私たちにいつも優しかったけど、うーん。伯父の性格がいまいちわからなくて。父にも伯母の病気のことを知らせていなかった。伯母の希望だったのかなあ。こちらの親族には一切自分のことを話さないようにと。それってつまり、伯母にとって私たちとのかかわりは、避けたいものだったのかなあと。

たとえ伯母がそう思っていたとしても、最後くらい会いに行きたいと思ったんだけど。私には、小学生までの記憶だけでよかったんだけど。
今日通夜に行っている父の話では、伯母の友人がほとんどの、ごく小さな集まりだから…ということで、出席は見合わせることにした。
親の兄弟って、そんなに遠い関係じゃないよなあ。今私が関東に来ていることも、何かの巡り会わせなのかも、と思ったんだがなあ。
伯母ちゃん、どうか天国で笑っていますように。

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2010.03.05

後悔

遠くに離れても思いやれることはたくさんあると思っているけれど、それでも、たくさんの「そばにいたくてもできない」辛さや寂しさを覚悟した上で、行くべきだと思う。

「離れてたって家族じゃないの」というさらっとした気持ちでいたい半分、「近くにいなきゃ意味がない」ことが数え切れないほどあったことを、実家を離れてから思い知ったのだ。

自分のもとの家族からどんどん離れていってしまうことに、何度目かの後悔をしている今。
「後悔」というと後ろ向きだけど、後悔することをわかっていて選んだことだから、まあ後悔してもしょうがないんだけど。

「後悔」はね、私は良くないことだとはあまり思っていない。
いくつかある道の岐路に立ったとき、きっとどの道を行っても少なからず小さな後悔はあるんじゃないかと。これはきっと性格によるよね。私はたぶん、よく考えて選んでも直感的に選んでも、別の道にちょっとばかりの未練を感じてしまう。決めるときはぱっと決めちゃうけど、そういうタイプだと思う。

大学に入るときも、就職するときも、結婚するときも、今回も、自分の進路は自分で決めてきた。
でも、そのたびに後悔して。それでも、どんなに情けなくても助けになれなくてもそばにいれなくても、自分の生活をがんばるしかなくて。離れている家族とのつながりは、信じるしかないのだ。

「どこにいたって、元気でいてくれさえすればいい」

この言葉の温かさに、どうやって応えればいいんだろう。
私は、どんな温かさを返せるんだろう。
いつになったら、これと同じくらい温かい言葉をかけられるんだろう。

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2008.12.22

「ぴーたま」

うちのダンナは(生まれも育ちも日本だが)中国の家系の人なので、こちらのおばあちゃんからよく中国食材をおすそわけしてもらえる。おばあちゃんはもともと神戸出身で、中華学校にも行っていたから、神戸の同級生からいろいろと送ってもらったりしているのだ。神戸は中華街があるからね。

で、よくもらうのが「ピータン」。
ダンナが好きだったので私も結婚してからよく食べるようになった。昔は苦手なほうだったけど、今では私も大好き。
普通に食卓にのぼっているせいか、あずも慣れたもんだ。白身部分のゼリー状のところが好きらしく、大人のを奪って食べようとする。最近は黄身の部分も食べれるようになった。
ピータン食べれる4歳児ってすごいよね…。

私が小学生の頃、父が一度ピータンを買ってきたことがあって、食べてみろと言われて食べたら「何これ腐ってる!」といった感じで、まったく受けつけなかった。で、翌日あまりにも食べたくなくて、残っていた分を全部こっそり捨ててしまった、という記憶がまざまざと残っている。

あずやダンナを見ていたら、こうやって子どもの頃からあたりまえのように口にすることの大事さを思う。
食に限らず、文化ってこうやって受け継ぐもんだろうなと。
遮断することなく、無理して昔のままを引き継ぐのではなく、自然な流れで自分たちにとって「好きなもの」を伝えていければそれでいい。

あずはピータンのことを「ぴーたま」と呼ぶ。
「ねえねえ、今日ぴーたま食べない?」と、冷蔵庫開けて嬉しそうに言う。かわいいなあと思う。
ダンナのご先祖様たちが聞いてたら、きっと同じように目を細めて笑ってくれていると思う。

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2008.10.31

お母さんのこと

いま私の身近にいる「おかあさん」はダンナのお母さんなわけだが、2年半ほど前に突然倒れ(←そのときの日記はこちら)、その後順調に回復し、もうはたから見ると後遺症もなにもなくそんな病気をしたことすら信じられないほど元気になっている。

去年からは仕事も本格的に復帰し、私たち周りの家族も少し安心できるようになった。あの入院中の記憶も薄らいでいくほど、平穏な日々に戻った感じで。

お母さんは倒れる少し前から福祉の仕事をはじめていたのだが、今はもう正社員としてバリバリ働いている。
その仕事について、ここ最近ちょっとお母さんの考え方(やその他もろもろ)がブレ始めている。そんな感じなのだ。

復帰後1年ほど働いた職場を突然辞め、それからというもの入っては辞め、を繰り返している。その期間がだんだん短くなり、先月から今月にかけてはもう1週間単位だ。これは尋常ではない。どれも「正社員」として応募し、受け入れてもらっているにもかかわらず、だ。
(ただ、病気のことについては職場には言っていない。「クモ膜下出血で生死をさまよった」なんて言うとまず雇ってもらえないから)

はじめのうちは私たち家族は、「まだ体力的にも身体的にも100%回復していないんだろう。無理しないほうがいい」と理解していたんだけど、どう考えてもこれは普通じゃないし社会的にみていいことだとは言えない。なにより、地域性のある仕事なだけに、お母さん自身に対する周りの反応がこの先厳しいものになることは容易に想像できるのだ。

見た目はわからないほど元気だが、左目の視力が落ち、視野もかなり狭くなっている。指先の麻痺も完全になくなったとは言えない。
そして一番の問題は、やはり精神的な障害だ。感情のコントロールが利かないことが多々ある。瞬間的に考えている一つのことしか目に入らず、総合的な判断や多角的な見方ができない。これと記憶障害とがあいまって、はっきりいって何も知らない人からすると「多重人格者」と受け取られてもしょうがない部分がある。

そんなわけで、お母さんは職場を変えるたび、周囲の人とうまく調和できずぶつかって、結局喧嘩別れのような終わり方で退いてしまっている。その「人とぶつかる理由」を、相手の不道徳さや不誠実さが原因だと疑わず、自分から辞めたことを正当化していることに、私は本気で怖いと感じ始めている。お母さんが壊れてきたんじゃないかと。というより、やっぱり全然大丈夫なんかじゃない、回復してなんかない、と思い知らされたような。

こうやって書くと、なんだかすごく心配な状態に思えるんだけど、でも会って話す分にはいたって穏やかだし「普通」なんだよなあ。まあもともとお母さんの性格がはっきりした性格なので、曲がったことに厳しかったりするんだが。仕事のことに関しては、自分の「こうでないと」という部分がむき出しになっている感じなんだよね。だから周りとぶつかってしまう。たぶんね、病気で以前と変わってしまった自分自身を周囲に気付かせないようにするがゆえに、変に凝り固まってしまっているんだと思う。

私は、お母さんが病気をする以前は、お母さんのささいな一言にいちいち傷ついたりしていたんだけど、最近はちょっとひっかかるようなことを耳にしたとしても、「病気のせいだ」と考えるようにしている。
そのおかげで、ずいぶん気持ちが楽になった。あまりいい考え方ではないだろうけど。
でも、「病気」とまではいかなくても、人それぞれいろんな性質があって、価値観があるのだ。何に対して怒りを感じ、心を揺さぶられるのかも、人それぞれ。
お母さんの場合、「病気のせいだ」と考えなくてはならない部分もあって、それを「症状」として扱うべきところがあるのは事実だと思う。だけど、だからといってそれを「治療」できるのかというと、それは無理だ。本人が自覚してもなお、どうすることもできないのだ。お母さんは自分自身の「性格」がだんだん難しくなってきていることを、しっかり自覚している。それでもコントロールできないのだ。

「人それぞれ」っていうのはもっと根本の部分から、例えば一人ひとり声が違ったり、顔の形が違ったり、足の長さが違ったり、というような、その人をかたちづくる「見た目」の違いと同様にあるもんだと思う。ソフト(精神面)だけじゃなく、ハード(身体面)でも一人ひとり違うのは当たり前。
だから「障害」と言っても、それは悪いこと(害)ではなくて、単なる「違い」ではないかと思うのだ。身体的な障害にしても。それが染色体の異常やどこか体の機能の一部が「正常」でないとしても、「ヒトというものはこうあるべきだ」と言えるわけないじゃないかと。私には、ほとんどの人の手足の指が5本あることの方が、感嘆すべきことのように思える。女のヒトの体の中で宿った命が、そうやってかたちづくられることのすごさ。その過程でどこか一部分が何かの原因で違うようになったとしても、そりゃそんなこともあって当然だよ、まったく一緒になんてできるはずないよ、と思う。

ああ話が変なほうに…。つまるところ、お母さんは確かに病気をしたが、それは「入院した」「退院した」という一時的なものではなく、お母さん自身がその病気を今も抱え、現在のお母さんになっているということだ。
だから仕事に対して変な方向で突っ走ろうと、「その考えちょっと一方的じゃない?」と自覚させることは必要としても、お母さんに仕事をあきらめさせることはできないのだ。お母さんの人生だ。お母さん自身が周囲との人間関係を築いていくほかない。

「お母さんがおかしい」と感じる私は、単に病気との因果関係を不安がっているだけだ。でも、そんな事情を知らない人にとっては「あの人変よね」で終わってしまう。そんな視線を浴びせられるお母さんが、今とても心配だ。
「おかしい」部分を否定したり非難したりすることは簡単だ。が、それではたぶんお母さんがこの先生きていけなくなる。入院中や入院後しばらく、うつ状態に陥っていたあの当時に逆戻りだ。

どうするべきかなんてわからんけど、できるだけ今は「これがお母さん」だと受け入れたい。あれこれ理解できない言動があっても、今は目をつぶりたい。スルーしたいと思う。
せめて周りにいる私たち家族は、お母さんが望む生き方を、応援したいと思う。

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2005.08.04

兄弟でもいろいろ

おじいちゃんの通夜の日、久しぶりに3人兄弟(私・弟・妹)がそろった。
弟と妹は県内にいるけど、お盆でもそろって顔をあわせるということはなかなか難しいのだ。お互いに新しい家族ができ、仕事があって休みがあわなかったり。妹夫婦はこの春から母の近くに越したので、母のほうに行けばすぐ妹にも会うことができるようになったけど。

父と母が離婚してから、家族の糸がいっぺんに途切れたように、父や祖父母との関係も私たち兄弟同士でも、どことなく距離が開くようになった。もう、「家族だからわかりあえる」とは言えなくなっていた。
兄弟でも一緒にいればいるほど、お互いを傷つけあうだけのような気がした。私も、早く家を出たくてしょうがなかった。

弟、妹と続けて結婚をし(最後に私)、新しい家族ができ、ようやく兄弟間のわだかまりもなくなってきた。
甥っ子や姪っ子が、これほどかわいいものだとは。
母がいなくなってからばらばらだった家族が、お互いの家族が増えるたびに、ちょっとずつまたくっつき始めたのだ。

通夜の晩、近所の人たちが手伝いを終えて帰り、残ったのは親族だけになった。祖母も父も伯父たちも、疲れ果てて眠ってしまった。
おじいちゃんが眠っている布団の側で、線香の番を私たち兄弟(とその配偶者)でしながら、夜中昔話をした。

母が出て行った当時それぞれ考えていたこと、父と母のこと、おじいちゃんとおばあちゃんのこと、この家のこれからのこと、配偶者含めみんな酒飲みなので、ビール片手にとりとめもなく話した。
それこそ泣きながら笑いながら一晩中話をして思ったのは、同じ家にいた兄弟でも、ほんと全然受けとめ方が違うんだということ。

記憶していることもそれぞれで、弟や妹の覚えている昔話を聞いては驚いたり。
当時の母と父との関係を、今までも散々兄弟間で話していたけれど、今回は今の時点でどちらの側にいたいかというような突っ込んだ話まで出て。まあ、あくまで気持ちの上でだけど。
でもやっぱり、同じ女の妹と私は即、「お母さん」と答えたが、弟は「おれは親父だなあ」と答えた。へえ、男同士でいろいろ話すこともあったのかな。父をどうしても理解できないでいる妹は、信じられないと言う。
私はできれば母の側にいたいけれど、独り身の父が心配というのも事実。でも、遠くにいるという事実があるので、どうしても現実的に話ができないんだよなあ。ごめんね、お姉ちゃんなのにさ。

結局、私も母と一緒だったんだなあと思う。
この家を早く出たくて出たくて、自分のことしか考えずに家を飛び出して。あと残された家族のことは考えないようにして。成人してからならまだしも、高校生だった弟と妹にとっては、毎日それはつらかったろうと思う。
そんなときに私は嬉々として大学生活を楽しんでいたんだと思うと、本当に本当に申し訳なくて。普通の「お姉ちゃん」だったら、家に残って一緒に過ごしただろうに。

そういう恨みつらみは一切口にしない今の弟妹に、せめてこれからは少しでも力になりたいと思う。
兄弟って本当にいい。親よりずっと深く、わかりあえる。

おじいちゃんが眠っている側で、おじいちゃんの過去の悪態についてさんざん悪口を言いながら(無礼者)、それでもおじいちゃんは嬉しかったんじゃないかと思う。
最後の夜に、こうやって孫たちがそろって、自分のことについて語ってくれたんだから。私だったら嬉しいもん。

ああでもあれだねえ。子どもってたくさんいたほうがいいなあ、と思った夜だった。
子どもに老後の面倒を見てもらいたいと今から思っているわけではないけど、それでも親の側にいたいと思ってくれる子に将来育つかどうかは、100%確実とは言えない。
私が品行方正な母親になる確率と同じくらい、少ないんじゃないかと思える。

あと二人くらいは、産んでおかないと危なそうだ。

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2005.07.19

こんなにも

大きさが違ったんだ。 上があずさ・下が今回の赤ちゃん (右側の小さい黒い丸が胎嚢)
どちらも同じ妊娠2か月終わり
20050719213003.jpg

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2005.05.06

母親と息子

ダンナとお母さんはよくケンカをする。といっても、いつもお母さんが一方的に怒っているんだけど。
母親と息子っていうのは、娘とはまた違った関係なんだろうなあ。
そういやあ、うちの母も弟のことになると手厳しい。そのくせ心配ばかりしている。

お母さんが息子であるダンナに腹を立てるポイントはたいてい、「思いやりがない」ということと、会話の中で生じた「誤解」だ。
話していてその場で怒るんならわかりやすいんだけど、いつも翌日以降にお怒りの電話やらが来るのだ。これは勘弁してほしい。

こんな親子喧嘩を、まあ年に1回は必ずやっている。いいかげん慣れてきたけど。
ダンナとケンカしているんだから嫁である私は平気、と言ってしまえばそうなんだけど、なかなかそうもいかない。いらぬ気を使ってしまう。
はじめのうちはお母さんも「あんたはいい子やけど、あの息子は好かん!もう会いたくない!」と、私には気を使ってくれているけど、ケンカが長期化してくるとだんだん不穏な空気が流れ始める。
お母さんも頑固なので、会わないと決めたらなかなか会おうとしない。嫁である私も会いに行くのが気が重くなる。
そうなると、ぷっつり連絡が途絶え、こっちとしても「もうお手上げ」な感じになってしまう。

なんだかんだいっても夫婦は一緒くたにされるのだ。息子が気に入らなかったらその嫁も気に入らない。気に入らないというか、嫁のことはこの際どうでもいいのだ。基本はそうだ。
あとはお母さんの理性とダンナの努力にまかせるしかない。第三者の私が何を言ってもしょせん無駄なのだ(やっと最近になって悟った)。

お母さんには妹がひとりいる。ダンナからすると叔母さん。
男兄弟がいなかったから、男の子の考えることがいまいち理解できないのかなあ、と私なんか勝手に考えていたけど、そうでもないんだろうか。
私にはふうらいぼうの弟がいるから、男の子が若いうちから母親に対して、そんなにこまめに気を配ったりすることなんて無理だよーと思える。母もそんなことハナから期待していない。母には兄がいるからかなあ。

こんな身内ネタを全世界に発信して、どうしようというのだ、私は。
とにかく、もう気にしないことにしました。そう決めました。今日。

今まではなんとかふたりを仲直りさせようと、両方をとりつくろったりしていたけど、もうしんどいわー。
気に入らなければそれで結構。仲直りできればそれでオッケー。
私は私の感情を大事にすることにしたよ。2人とも大事。余計なことは言わないし、当人同士が話し合うまでなんにもしないよ。
どんなにけなしても嫌ってみても、結局親子なんだから。切っても切れないよ、簡単には。

はー。
私は子どもに多大な期待をかけるのはやめよう・・・。
息子ができたら、お母さんの気持ちがわかるのかなあ。
まあもうどうでもいいよ。ったく。

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2005.03.04

ホーム・シック

ホームシックというか、望郷というか。

私は高校生の頃、早く家を出たくて出たくてしょうがなかった。はやく自立して、ひとりで生活したかった。
県外の大学を受けたのも、そのため。学費を親に出してもらっている時点で、自立とはほど遠いけど、とにかく家族のしがらみから抜け出したかった。

大学の4年間、その後関西に出てきて結婚したあとも、実家から遠いということに何の不安もあとくされもなかった。土地にたいする執着は、まったくないと思っていた。むしろ離れている方がうまくいく、と思っていた。
年に2回ほどしか帰れなくても、まったく気にとめることもなかった。

それがここにきて、急にさむざむとしてきたのだ。
大阪で一生暮らすということについては、ダンナと結婚をするときにさんざん考えて結論を出したはず。それなのに、なぜ今になって。

理由を考えたら、いろいろなことが最近になってどっと湧いてきたのだ。
一番大きいのは、あずさが生まれたこと。
親の心理というんだろうな。自分の子どもをかわいがってもらいたい、成長を見てほしい、そんな気持ちがうまれてきた。
母や父に孫の顔をちょくちょく見せたい。そう思うようになった。
でも、ふらっと帰れる距離ではないのだ。車で4時間も走ればあっというまに着くけれど、思いたって「ちょっくら行ってくるか」と言える距離ではないのだ。
頑張って年に4回帰れたとしても、自分の子どもを年に4回しか見せられない。そう考えたら、本当に本当に悲しくなったのだ。この子を母たちに見せてやれるのは、数えるほどしかないのでは、と。
たぶん毎日のように会える距離にいるダンナの家族に対する嫉妬に似た気持ちも、少なからずあると思う。そう考える、自分も嫌だ。
それでも大阪-広島間なんて、まだ幸せな距離だ。もっと離れて暮らす人だってたくさんいるのだ。

あとふたつめの理由は、父と母や祖母たちの老後を、かなり具体的に考えるようになってきたこと。
父はまだ55だが、今年定年を迎える。そして母と離婚して以来、ずっとひとりだ。
これといって病気もしていないので、そんなに心配はしていない。が、これから先もひとりで大丈夫だろうかという不安。
祖父と祖母は高齢。2人で暮らしているが、田舎で交通の便も悪く、祖父はガンを患っている。いつまで2人が家で暮らすことができるのか。どちらかが入院したら、残された方は。介護をどうするのか。

その点、再婚して明るく暮らしている母のことは、今のところあまり心配することはない。
ただ、母にも老後がくる。なにかあったとき、誰がそばにいれるのか。
3人兄弟の中で弟だけが広島に残っている。すべてが、弟の肩に乗っかっているかのような状況が、心配だった。

こんな不安が漠然と湧きあがっていた矢先に、徳島で暮らしていた妹一家が、広島の、母の近くに引っ越すことを決めた。春から移るという。

その一報を聞いた瞬間からかな。私のホームシックが爆発したのは。
「いいなあ。私も、帰りたいなあ。母の近くで、田舎で、暮らしたいなあ。」 そう思った。
なんだろう。兄弟の中で私だけ、離れていることになる。それが、とても寂しかった。遠くにいることが、申し訳なく思った。こんな気持ちになったのは、実家から離れて、はじめてだった。

妹たちの決断を、うらやましく思ったりする自分が情けなかった。
自分は大阪で生きていくことを、中途半端にしか考えてなかったのではないか。ここで暮らすもとになった、ダンナを責めてしまいそうになる自分が、心底情けなかった。

私の座右の銘は昔から、「自分が決めたことは、楽しんでやる」 だった。
それなのに、どうだ。この今の私は。
自分が選んだ人生じゃないか。離れてたって、できることはあるじゃないか。

後悔することが、悪いことばかりだとは思わない。
でも、それを人のせいにしたり、自分の人生を否定したりすることだけはしたくない。
後悔するほど、過去自分が選んだもう一方の道を進みたくなったら、悔やみ始めたその時点でまた悩んで、選びなおしたらいい。
それができなければ、あとは背筋を伸ばして、自分が選んだ道を楽しんで生きていくに限る。選ぶことができなかった道は、別に捨てなくてもいい。後々の人生でまた選びなおせるときがくることもある。

「しょうがない」って後ろ向きな言葉だけど、しょうがないことだってある。
私はたとえ今ダンナと出会ったとしても、ここで暮らすことを選ぶだろう。しょうがないのだ。
冷静に考えたら、妹が帰ってくれたおかげで、弟の負担も減ることになる。母や父も、孫たちに会える楽しみが増える。よかったと思っている。

私は、私の人生楽しもう。
幸せに生きよう。

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2004.12.24

もうひとりのお母さん 

ダンナのお母さんはうちから徒歩3分のところに住んでいる。
平日寂しい私に、買い物に誘ってくれたりごはんに呼んでくれたりしてくれる。ありがたい。
この間も、病院に行くのに一緒についてきてくれ、私が診察の間、号泣するあずさを抱いて外で待っていてくれた。
本当に助かったので、「お母さんありがとう」と何度も言っていると、「そんなたいそうに言いなや、みずくさい!」と一蹴された。
そして笑って、「私が年とって動かれへんようになったら、あんたオムツ替えてな」と冗談まじりに言った。
「あたりまえじゃないですか! オムツでもおフロでも任せてください!」と言いながら、そうか、と思った。
頼られるのって、嬉しいものなのかもしれない。
私は自分が育った環境からか、人に頼ることに慣れていない。だから今も、万がいち平日私が病気でダウンしても大丈夫なように、食料品は最低限確保しているし、あずさの育児品も買いだめしている。誰にも頼らなくてもやっていけるように、だ。
でも、頼ることって、甘えることって、そんなに難しいものでも駄目なものでもないのかもしれない。
私はたとえこれから先、ダンナとの仲がうまくいかなくなって、もしかして別れてしまっても、ダンナのお母さんとはつき合いたいと思う。老後の面倒をみたいと思う。そんなの今だから言えるきれいごと、かもしれない。
そりゃ、たまにものすごくムカッとくることを言われたり、ストレートすぎる物言いに、へこんでしまうこともある。そのたびに、「もう会いたくない・・・」と思うことも事実。
でも、それだけのことをしてもらっていると思うのだ。
病院で先生に、「私の娘なんです。よろしくお願いします。」と、言ってくれたお母さんを、私は大事にしたいと思う。

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